『年齢』『学歴』『職歴』関係なし!スーパーWebデザイナーになる方法

こんにちは、日本デザインスクール インターン生の田代ことパンダです。パンダは、変身(仮装)して、お祭りイベントに参加するのがとっても大好き、子供たちが喜ぶ顔を見るととっても元気になります。
パンダ活動をするうちにすっかり通称がパンダになりました。

その実、素の姿で人前に出るのが大っ嫌い。
結局、変身しないと自信を持って人前に出れなかっただけなんですよね。
まさに身も心もクマ科そのもの、人間がくると逃げる性格でした。
でも

「早く人間になりたーーーーーーい」ってずっと思ってました。

そこで今回は、人から逃げてばかりだったパンダが日本デザインスクールに出会ってどのように変ったかを過去から振り返って紹介したいと思います。

「なぜ日本デザインスクールに入ることにしたのか」

「デザイン未経験の私が受講した講座とその感想について」

「講座の前はどう思っていたか、講座後どうだったかのお話」など、

未経験からWEBデザイナーになろうとしている人の参考に少しでもなれるように、WEBデザイナーになるまでの道のりを、お話したいと思います。最近楽しくないなぁってお悩みの方は、当記事をぜひ参考にしてみくださいね。

パンダがWEB業界に入るまでのお話

パンダは栃木県栃木市出身で、2018年8月をもって40歳となります。1回くらい離婚歴でもあった方が面白かったのに残念ながら、未婚の独身です。ですが2回ほどリストラにあって、3回ほど自主退職してますので仕事はバツ5です(笑)

職種は20年以上、工場員をやっていました、機械に向かってひたすら切断ボタンを押し続けたり、重いものを持ち上げて、ひたすら棚に上げたり降ろしたり、

現在は問題になるほどの過度な残業(月200時間以上)をこなした自慢しかない団塊世代の小言を聞いたり、秒単位で機嫌が変わるお局様の話し相手をしたり。

このお局様の相手7年も続きましたよ、副社長と幼馴染らしくて職場で自分が最も上の立場であるかのように振る舞うので、管理職も厳しく注意することができないし、立場の弱い若手女性社員などに「嫌がらせ」や「いじめ」をするし、その若手女性社員に話しかけると男性社員にもカンシャクを起こす、仕事の話をしてるだけなのに。

まるでドラマ「大奥」に出てくるような、お局様でしたね。この方も自分と一緒にリストラされましたが。

そんな取るに足りない人の相手とつまらない仕事をずっとやってました、そしてこんな仕事辞めなきゃと思いながらも、こんな状態がずっーーーーーーと続くのだと思ってました。

パンダ、パソコンに出会い、ちょっとだけ学ぶ。

初めてパソコンと出会ったのは高校一年生の頃、中学3年生だった自分に先生が県外で一校だけ新設された情報処理科に入るのなら推薦するとの事だったので、2つ返事でお願いしたんです。

パソコンがやりたかったわけじゃなく、入れる高校がなかったんですよ。成績ワルすぎて(笑)軽い気持ちで情報処理科に入学したパンダ。当時は携帯電話が世の中に出回ったばかりで機械操作もままならず、この箱は何だ??

パソコンって何に使うのかもわからないで困惑、電源スイッチを押すことすら恐ろしかった覚えがありました。最初の授業でまったく出来ず、パソコン恐怖症になり、クラスの大半がパソコン部に入るところ、剣道部に所属。

結局、3年間で習得したのはブラインドタッチのみ。まさか、あのスタートボタンを押すのも恐怖だったパーソナルコンピュータが、後になくてはならない相棒になるとは夢にも思わなかったわけですが。

パンダ、Adobe Photoshop(アドビ フォトショップ)に出会う。

さて、18歳になって働き始めると周りの友達の影響で、オタク道にのめり込んでいったパンダ。漫画を書き始めます、同人誌ってヤツですね(同人誌とは、同じ趣味を持つ人、同人が集まって作られる本のこと)

キャラクターの色塗りにパソコンが使えるらしいぞ、という情報に久しぶりにパソコンを購入、この時はWindowsでしたが。そしてPhotoshop(フォトショップ)というソフトがオススメという事で、挑戦することになるのでした。

「おー、レイヤーを重ねて塗っていくと修正するのが簡単なんだなぁ、面白い!!」とにかく、Photoshopにハマり何冊も何冊も本を買ってキャラクターを塗る練習の毎日。しかしあることに気がついたんですよね。

まったく上達しない、、、

素人くさい作品ばかり出来上がり、同人誌仲間からは不評の嵐。まず根本的な画力が低い、色がくすんでいるような気がする、キャラクターが可愛くないなど色々指摘されてしまったんです。

じゃあまず絵を習わないとダメだって事で、デッサンを習得するために、地元の有名な油絵の先生に弟子入り、ひたすらデッサンの勉強をする事になるのでした。この選択って今思うと間違ってたんですよね。Photoshopの操作方法をちゃんと教えてくれるスクールに入るべきだったんですよね。

パンダ、画家になったり、初めてリストラされたりする。

ここからはしばらくパソコンの話はでてきません。デッサンを習い始めて、5年がたち、20代後半になったパンダはすっかりオタク色が消えていて、油絵の世界で、入選を繰り返し、六本木国立美術館に作品が飾られて賞を取るまでに成長していました

雑誌にも載り、後の総理大臣賞候補ともてはやされて、初の個展を開く為に作品を発表し続け、表参道の一流ホテルで美味しい料理を食べて、芸能人と談笑し、すっかり画家先生と呼ばれるようになってました。

さらに仕事でも収入が順調に上がっていき、パソコンの事も忘れて、この先も順風満帆な人生が待っているのかと思っていましたが、その時は突然起こりました、世界は、リーマンショックによる混乱で、経営難に陥った日本企業も次々に人員削減に乗り出すのでした。

パンダも例外なくリストラにあい、収入がなくなり個展開催を断念するのでした。これが1回目のリストラです。そしてリストラからの個展開催断念に喜んだ油絵世界の年配者達からの嫌がらせが始まりました、実はこの油絵の世界、人口の8割が年配者で、入選をする為に先生にお金を払って絵を描いてもらっちゃうのは当たり前。

荷物もち、部屋の掃除、貢物、なんでもする人たちの集まりだったのです。その年配者たちにとって努力と実力で這い上がってきた若手は邪魔でしかなく、若手いびりをするしかなかったんですよね。

ちなみにプロの画家として暮らしてる実力派の先生たちはそれを良しとせずに若手を育てようとしていたのですが、多勢に無勢で全国的な年配者による若手いびりを止める事はできないのでした。パンダも絵を真っ二つに割られたり、絵に穴を開けられたり、ひどい目に合いましたね。

『んーこれ以上続けても楽しくないんじゃ意味がないなー」と思って、画家人生に自らピリオドを打ちました。リストラでニートになった上に、画家でもなくなった自分には何にもなくなったと思い込んでしまい心を病んでしまって医者通いになってしまうのでした。

パンダ、2回目のリストラをされて、怪我をする。

さて、30代後半になってくると、再就職したパンダに再びリストラのという名のTHE!災い!がやってきました。仕事をせずに上司にゴマをする後輩達が出世をし、すでにその時ベテラン社員となってたパンダは、邪魔者として後輩達に目を付けられリストラ候補になったのです。

そしてついに辺境に左遷されたパンダは、精神的苦痛で交通事故を起こしてしまいます、右の脊髄損傷、足も動かなくなり歩行も困難なパンダにさらなる追い討ちが、当時は5年間の地元の消防団に所属中で、しかも最後の5年目に小隊の隊長に着任。そして大規模な山火事が起きるのでした。

動かない足を引きずりながら、15名の団員を連れて出動、分団長の指示で燃え盛る山中にホース等の消火器具をもって突入するのでした。空中用消火バケツを積んだヘリコプターが2台飛んでる中、数時間の消火活動、夜中になり疲れでボーとしてきた山中で気づかないうちに炎に囲まれて、慌てて退避命令がでたので、小隊の団員達を先に行かせてなんとか脱出するのでした。

この火事以来、怪我の悪化でまったく足が動かなくなったパンダ、会社を休業することになりました。それから数ヶ月たってなんとか怪我が治ってきたので、朝、職場に向かうと同じくリストラ対象となっていた同年代の社員達が集められて、海外への転勤をいい渡され、嫌なら辞めるようにと上司に言い渡されるのでした。

パンダ、ついにWeb業界に飛び込む!

もう会社に行くのが完全に嫌になっていたパンダ。

パンダは、ワラをも掴む気持ちで、友達に紹介された占い師の元にいきました。それがこの占い師、占いもそこそこに、
違う業種に挑戦した方がいいよって、ホームページのコーディングをする会社を紹介してくれたのです。

「なんて素晴らしい占い師?」だって思いましたねー社長に会うと未経験でもオッケーとの事。この時、未経験でもオッケーと言われて入社したのが間違いになるとは思ってもみなかったのですが。

パンダ、いきなり現実にぶち当たる!

前述でろくに仕事内容も聞かず未経験オッケーだけで入社したパンダ。張り切って初出勤をします。そこで任された仕事といえば、電話番と集金と掃除!?なんと雑用係の女性が辞めてしまったから、その代わりという役目だったのです。

一切パソコンに触らず!!「おろろろろ~~~。」やっぱり未経験でも大丈夫という話はありえないのだと実感しました。入社して半年っても、勤務時間の大半を椅子に座ってるだけ状態。さすがにみかねた社長が広報紙の編集作業を任せてくれるのですが、それも月の前半のみ、忙しいのも大変だけど、暇すぎるというのもまた地獄だと思ったのでした。

日本デザインスクールとの出会い

このままではスキルアップもせずにずっと雑用で人生が終わってしまう!!という事でさっそく帰宅後、パソコンのスキルを学べるスクールを検索。

ストアカ(あらゆるスキルが気軽に学べるマーケット)のサイトで、日本デザインスクールの久保なつ美先生のLPにたどり着き、1DAYレッスン申し込みのボタンを押すのでありました。

1DAYレッスンについて

緊張しながら、久しぶりに池袋にきたパンダ、迷路のような池袋駅から出られず、スクールの場所もわからず、遅刻しそうになって凹んでた所に若くて爽やかなイケメン講師、カトパンこと加藤佑輝先生が優しく迎え入れてくれました。

この時は失礼ながら、「あー、一日体験を任されてる新人の講師だな」と思ってたけど、話しを聞いているうちに、「あれっ、何かこの人違うな」と感じました、まず、パソコン操作のスピードが速い速い。マウスなしの操作の方が仕事が速いということを学びました。

まぁ結局、慣れなくてマウスを使い続けてしまってるのですが、パンダは最初その日限りでレッスンは終わりにするつもりでしたが、加藤先生からこの後、WEBデザイナーという職業は、年齢も、学歴も職歴すらも関係なく目指すことができますってという話しを聞いて、すでに40歳を迎えようとしてたパンダはただ短期間で仕事で使える技術を学べるということだけに魅力を感じて初級編に申し込みをするのでした。

WEBデザイナーは楽しい仕事だということもおっしゃってたのですが、この時はまだ半信半疑でした。辛くて、厳しくて、つまらなくて、半病人のような状態でやるのが仕事だと、長い間の工場勤務で刷り込まれていたので、WEBデザイナーはまだちょっとだけ工場に比べればマシだぐらいにしか思っていなかったのです。

受講したレッスンとその感想

1DAYレッスンを終えて、ゼロイチWebデザイン入門編を受講する為に初めてMacを購入、慣れる為にいじくってみるとWindowsには戻れないと思うほどMacが使いやすいと思うようになりました。直感的に操作ができるようになっていて、どう操作をすればいいのかすぐに覚えられるんですよねー。

入門編はバナー作りとホームページ作り、写真の加工テクニックとHTMLやCSSといったWEBプログラミングを習いました配信されるオンライン講座を見るだけで十分理解できる内容になっていて感激しましたね。

担当は1DAYレッスンでもお世話になったイケメン爽やかな加藤先生、スピード感たっぷりに要点だけをテキパキして指摘してもらって、わかりやすいフォローをして頂きました。でも入門編を受講している間も、ずっとWebデザイナーって楽しい仕事だってスタッフの方々に言われているのだけど、まだまだ半信半疑でした。

しょせんWEBデザイナーの仕事は個人競技、技術さえ覚えればオッケーでしょと思ってたんですよね。その後の動画講座、インターン活動、交流会、そして中級編を受講する前のアンケートの段階でもそれは続いてました。

パンダ、社長講習を聞いて人間に戻る。

でも日本デザインの大坪社長のマーケティング講習会で一番な大切な事を教わったのです。いや、元々子供の頃は知っていたのに忘れてた事を思い出したって感じですね。

それは正しい事をすること

正しい事をすれば、周りに人が集まって、それが楽しい仕事に繋がる、他人を変えるんじゃなくて、自分を変える、自分をマーケティングするんだって事を教わりました。確かにスクールの講座でWebデザイナーとしての技術は上がったのかもしれないですけど。それだけじゃ、ダメなんですねー。

子供の頃は、他人が困ったら声をかけたり、助けたり自然にできていたのに、大人になってすっかり忘れていました。他人に優しくしていいんだよって潜在的に許可をしてもらったようで、ストーーンと心の中に落ちてきたのです。

講習のあとの食事会でよく周りを見たら、パンダじゃない田代くんにみんなが笑顔で話しかけてくれる、今までもきっとそうだったのに、自分の殻に閉じこもって目を背けてきた自分が恥ずかしいです。

パンダはついに人間の心を取り戻したのでした。社長講習の翌朝すっごくいい眠りができて、20年ぶりに目が覚めたかのような感覚を覚えましたよ。デザインスクールなのに人となりまで教えてくれるなんて、そんなスクール他にありますか?

まとめ

これから、スクールを卒業してどうしたいか?いままでは、漠然と在宅ワークになって誰にも会わずに1人で仕事をしたいとずっと思ってました。でも今はね。出会った仲間達とこれから出会う人達と、協力して楽しく仕事をして楽しく暮らしていきたいと思ってます

楽しくない職場でずっと働いてきた田代くん。短期間でスキルを覚えればよいって気持ちで入った日本デザインスクールに
通い始めて、早数ヶ月、本気でスーパーWebデザイナーになるためにWebデザイン中級編を受講しています。

スーパーWebデザイナーっていうのは、ただ作業ができるだけじゃなく、仕事で他人を幸せに、楽しい気持ちにさせるプロって事ですよね。今では積極的に交流会などに参加して楽しんでます。同じ道を志す仲間がたくさんいます、これを読んだ方も仲間になってWebデザイナーになる道を一緒に歩んでみませんか?

日本デザインスクール インターン生 パンダ

まずは業界のことを知ることからはじめよう!

※ゼロイチ入門編3月生(64期)の【申込締め切り】は、2/20(日)

ABOUTこの記事をかいた人

地味な人生からの大逆転劇!私が好きなことを仕事にするまで...
株式会社日本デザイン WEBディレクター・WEBデザイナー・動画クリエイター
20歳WEBデザイン業界を目指すが、未経験のため15社を一次審査で落ちプチ鬱に
22歳 雑誌の編集部になんとか受かるが、過酷すぎて耐えられず早々に辞める
24歳WEB業界に転身。念願のWEBデザインの仕事に就くがセンスがなく惨敗
26歳 大坪拓摩と出会い、根性だけを認められアシスタントという形で雇われる
それから4年間、理論やルールに基いたセールスデザインを大坪に叩き込まれ、デザイン力が奇跡のように向上!紹介のみで仕事が埋まる売れっ子デザイナーとなり、動画制作・YouTubeプロデュースなどクリエイティブな仕事を幅広く請け負う
2015年10月、自身のこれまでの経験(もともとのセンスのなさも!)を活かして「現役デザイナーが教える」「センスはいらない」というコンセプトで日本デザインスクールを設立。現役としても活動を続けながら全国400名以上の生徒を45日という超短期間でプロのWEBデザイナーに育てる。座右の銘はミッキーの「夢は必ず叶う!」